大正4年~大正15年

大正 4  朝日新聞社主催、第1回全国大会、豊中球場で開催。地方予選出場校73校。
予選関西大会で和歌山中学が大阪代表市岡中学を破って初出場した。
大正 5  全国大会に地元大阪代表を欠くのは如何にも不都合だというので関西大会を大阪と紀和に2分して予選が行われた。
大正 6  全国大会が鳴尾球場に移された。初の入場式挙行
大正 7  和歌山中が既に鳴尾に乗り込み合宿中、富山地方に起った米騒動が関西にも波及拡大した為、本大会は中止となった。
大正 8  紀和大会不振のどん底で出場校、僅に3(和歌山2、奈良1)最少記録を作った。
大正 9  和歌山中の独走続く。紀和大会出場校5(和歌山3、奈良2)全国的に最少予選区である為、当時不振の徳島県と併合して一予選区とする噂さ伝わる。
大正10  和歌山中が猛打を振い初優勝。大緋放旆を伏虎城下に飜えした。
大正11  和歌山中が8回の逆転で強剛神戸商を破り再度全国制覇の偉業を遂ぐ。
 12月2日摂政宮殿下(現天皇)が和歌山中校庭に御成りになり、全国的に有名な和歌山中野球部の紅白試合を御観戦になった。この記念に右翼コンクリートスタンドが完成された。
 全国予選から校医の健康診断書が必要となった。
大正12  県予選1回戦に和歌山中と対戦校は復活さすと言う大会規定を決定、海草中が、これを引き当て復活後の再試合で常勝和歌山中に迫り脅かしたので特別規定は1年限りで廃止。
 本大会では優勝記念旗を作り、その名誉を永久に記念することになり優勝校に贈られた。
大正13  第1回全国選抜大会が名古屋八事球場で行われ和歌山中出場の光栄に浴す。
 今春より毎日支局後援、和歌山中、和歌山商、和歌山工、海草中の4校リーグ戦を開始。
 甲子園大球場完成し指定席券を発行。大会第4日目に満員札止となり関係者を驚かす。
 海南中に野球部誕生
大正14  和歌山中の独走続く。
 本大会で国旗並に大会旗掲場が初めて行われ観覧者に強い感銘を与えた。
大正15  春のリーグ戦に海南中が参加。
 本大会で和歌山中は準決勝に進んだが大連商業に1-0で雄図空し。
 大会歌が制定される。