軟式 昭和23年~平成11年

昭和23年~ 昭和23~30年は、初代軟式部委員長で歴代最長の全3期(昭和23~34年、昭和40~43年、昭和46~54年)延べ25年間にわたり指揮を執られた井口正氏の功績が大きい。この間、春季大会として全国高校大会県予選・近畿予選、夏季大会として県下選手権兼近畿高校大会県予選、秋季大会として紀南・紀北地区で開催した県下新人大会の三大会が行われている。
記録では、新宮高が昭和29年と30年の春季近畿大会に優勝、昭和30年に国体全国軟式野球大会に出場、県和商高が昭和29年県下選手権を経て夏季近畿大会に優勝、同年の国体全国高校大会に準優勝するなど、県勢のめざましい活躍がみられる。
昭和29(1954)年当時の加盟校をあげると「粉河・粉河高定、那賀、青陵、県和歌山商、和歌山工、星林、海南、田辺、熊野、向陽、桐蔭、箕島、南部、新宮」の14校であり、うち後者5校は平成22年現在も継続して加盟している。
昭和31年~ 昭和31年からは日本高野連主催の全国大会が創設され、毎年8月25日より藤井寺球場およびPL学園球場を会場(昭和55年まで)に開催された。▼ 「全国高等学校軟式優勝野球大会」と命名された第1回全国大会には新宮高が出場、同校は昭和33年の第3回大会に準優勝、翌年第4回大会にはベスト4に輝いた。この全国大会へは南近畿地区大会を勝ち抜いての出場で、第1回は大阪・兵庫との3府県、第2回は兵庫との2県で、第3回以後、平成7年までは奈良・和歌山の2県で南近畿の代表枠を争っている。▼ 昭和36年の第6回大会では、南近畿代表の県和商高が熱闘3日間に及ぶ延長試合を演じている。『全国高等学校軟式野球選手権大会30年史』には、「対東北学院との2回戦、勝敗が決まったのは3日目であった。両校はまず初日第3試合でぶつかり、延長11回日没で引き分けた。この試合は両チーム無安打・無得点の珍しい記録を残しながらも、引き分けのため話題にならなかった。翌日の再試合、東北学院が4回に2失策に乗じて1点をリードするが県和商は5回すぐ町谷の適時打で2-1と逆転した。9回の東北学院は三塁に走者を進め、二死ながら土壇場に三遊間安打で同点に持ち込む。この後、試合は18回まで続き、結局2-2で再び引き分けた。急いで日程を変更、3日目第1試合にこの再々試合が入った。またさらに0が続き3度目の延長に入る。15回表、県和商は藤田の三遊間安打から無死満塁のチャンスをつかみ、町谷の左飛で1点、高井の二塁ゴロ野選の間に2点を加えてその裏を抑え、3日間44イニングスにわたる長い試合が終わった。」とある。しかし、残念ながらその県和商高も翌日の準々決勝で、優勝した平安高に力つきて4-1で敗れている。▼ 昭和38年の記録をみると、「大会初の開会式を挙行、市内5校のブラスバンド部の協力により参加14校が堂々の入場行進、吉備高(現有田中央高)主将による選手宣誓の後熱戦が展開された。」とある。この後、開会式が開催されたのかは記録にとどめられておらず不明であるが、しばらく途絶え、平成16年の再開を待つことになる。▼ 昭和39年6月の総体春季大会では、過去最多の18チームが参加した記録が残っている。「市和商(定)、向陽、桐蔭、青陵、県和商、和歌山工(定)、海南、箕島、吉備(現有田中央)、吉備八幡(現有田中央清水)、耐久、日高中津、南部、南部龍神、海南下津、大成美里(現海南美里)、古座(現串本古座)、▼新宮」の各校である。この年、国体予選を兼ねた近畿高校軟式野球大会県予選が4月に開催されているが、参加校は12校であった。▼ 昭和42年までの春季近畿大会では、昭和31年に向陽高、昭和33年と34年には新宮高、昭和42年には古座高がそれぞれ優勝している。また昭和32~35年には秋季近畿大会が実施されたようであるが、記録は不明である。▼ 昭和33~39年の間には、県内4分校「南部龍神、日高中津、吉備(現有田中央)清水(旧八幡)、大成美里」の加盟を得ている。
昭和43年~ 昭和43~52年の間、県勢は春季近畿大会、全国優勝大会ともに好成績は残せていないが、昭和46年の黒潮国体に出場した県和商高が準優勝に輝き、この年の第16回全国優勝大会でも活躍している。同校は、平成5年に加盟校から退いているが、その健闘を称えたい。
昭和53年には、全国大会の名称が「全国高等学校軟式野球選手権大会」に変わり、第23回全国選手権大会が開催された。この年、5年ぶりに奈良県勢に出場権を奪われたが、平成7年まで行われた40回の南近畿大会で本県勢が敗れ全国大会出場を逃したのは、昭和37、42、45、48、53、55、57、58、平成4、5年の10回であった。なお、昭和56年の第26回全国選手権大会からは会場を兵庫県立明石公園第一野球場と高砂市野球場に移し、毎年8月25日から開催している。
昭和43年に陵雲高(旧和歌山通信制高、平成12年まで加盟)および昭和49年に和歌山東高(平成22年から硬式)、昭和53年に和歌山高(平成2年から硬式)の3校が加盟校に名を連ねた。これにより、昭和54年度の和歌山県高野連軟式部の加盟校は、「和歌山、向陽、桐蔭、陵雲、県和商、和歌山東、海南、大成美里、箕島、吉備、吉備清水、耐久、日高中津、南部、南部龍神、古座、新宮」の計17校であった。
昭和56年~ 昭和56年以降、加盟校は減少の一途をたどり、吉備高(現有田中央高)は昭和56年に、硬式に転部した日高高中津分校は昭和60年に、吉備高清水分校(昭和55~平成3年は硬式)は平成6年に、それぞれ加盟校から退いている。
さて、平成元年までは、常勝「新宮」の活躍がめぎましい。昭和59年の第29回全国選手権大会では、同校が9回目の出場で全国制覇を達成している。ここで、当時の新宮高監督、中谷剛氏の「『優勝の思い出』-優勝は心の勲章-」の一節を紹介させていただく。
「世評、大変幸運なチームと呼ばれ、顧問の私も強運の持ち主と形容された。実際の所、当事者の選手達や私がこの望外な結果に一番驚き、意外感さえ抱いた。確かに幸運なことだったと思う。ここに優勝までの経過とチームの特徴を挙げてその意味について記してみたい。『チーム意識の安定性』-これが顕著なチームだった。軟式野球を志望する生徒は、勉強もまあまあ、遊びもしたい、それに体力・センスはごく普通、という一般的特性を持っている。そんな中でこの年度の生徒たちは何故クラブに取り組むかを自己に問い返し、この『特性』を除くことが出来たと思う。つまり、勉強は当然、クラブをする限り、他の事は出来ないという気持ちをしっかり意識した。これが自発的なトレーニングになり、チーム一丸となった練習や試合への取組み等に現われた。
『守りの野球』という、年来のテーマに沿ったチームづくりが出来たのが第二点だ。例えば、軟式はバットとボールがインパクトするミートポイントが狭く、フライが上がった場合、空気の抵抗を受けて滞空時間が長くなる。この硬式との決定的な違いで、ヒットが少なく、点差の小さい試合になってディフェンスで勝敗が決まることが多い。そこで、これを徹底的に鍛え、また尊重することで、ゲーム中に起こる偶然的な要素を出来る限り排除してプレーを必然化することに徹した。そんなチームづくりが、一応の成果となって現われたのだと思う。
苦しい中で予選を勝ち抜き、南近畿代表として大会の宿舎へ入った時、優勝への第三の契機が潜んでいたのかもしれない。はっきりいって我がチームはノーマークといったふうだった。そんな中で、世評の高い強豪チームの監督、選手たちと同宿した。やや失礼ながら、彼らの状態を一言でいうと、『ギラギラした野望が見える』と、そんな感じだった。いま考えると、大会を通じて私達は、ある意味では当然の、またある意味では不健康な、ああいう精神状態とは無縁で、一つのプレー、一つのサインさらに試合を平常心で戦えた。それが準々決勝、決勝での勝負を決めるスクイズの成功に結びついたと思う。
優勝の後で、一生徒がポツリとつぶやいた。『やってきて良かった。』そう、それが君たちの中で終生輝き続けるかけがえのない『心の勲章だ。』」
その新宮高は、昭和59年の春季近畿大会も優勝、昭和63年の第33回全国選手権大会に準優勝、翌平成元年の第34回大会にはベスト4に輝いている。
この間、新宮高は2名の日本学生野球協会優秀選手賞の受賞者を輩出した。昭和57年度第15回受賞の下屋敷功選手、平成元年度第22回受賞の草下道昭選手である。ともに学業優秀、努力家で高校野球選手として他の模範となり、同校の全国大会における活躍の原動力となったことが評価された。
昭和60年は総体春季大会で大成美里分校が初優勝を遂げ、春季近畿大会に出場、1回戦奈良育英高に大勝し、2回戦まで進んでいる。大成高美里は、平成20年より加盟校を退いているが、県大会優勝、近畿大会出場の栄誉を讃えたい。
昭和62年の第32回全国選手権大会でベスト4に入った陵雲高(昭和43~平成12年加盟)も攻守にまとまったすばらしいチームであった。
平成2年~ 平成に入り、新しく採用された軟球がよく弾むこともあって延長戦が減り、得点差によるコールドゲームが増えた。平成2年には、耐久高が和歌山県高野連軟式部初となる春、夏、秋の県内3大会三連覇を達成した。しかし、平成元年の新宮高全国ベスト4以来、全国選手権大会での本県勢の特筆すべき活躍は見られない。しかも、平成8年からは全国大会出場校数削減により南近畿大会と北近畿大会が合併し、選手権近畿大会が新設された。以来、本県は京都・滋賀・奈良の3府県と1つの代表枠を賭けて戦わねばならず、全国は狭き門となっている。
平成7年は南部高が総体春季大会、夏季選手権和歌山大会に優勝、南近畿大会を経て全国選手権大会に出場したが、この開会式で同校主将が力強く選手宣誓を行った。また、同年、新人大会の紀北・紀南等の地区大会及び決勝大会を廃止し、県大会となる秋季新人大会に統一して開催することになった。さらに
翌年の平成8年からは、秋季近畿大会県予選を兼ねて開催している。
この平成8年は、第52回なみはや大阪国体リハーサル大会として秋季近畿大会が再開されるようになったもので、県外大会出場の機会が増えたことは大変喜ばしいことであった。なお、この記念大会には、向陽高が久方ぶりに県代表の座を得て出場している。
平成9年の全国選手権近畿大会は和歌山県高野連軟式部が主管となり、和歌山東公園市民球場で開催されたが、県代表の古座高が決勝で奈良県代表の天理高に敗れ、あと一歩のところで全国大会出場を逃した。
平成11(2001)年度の加盟校は「向陽、桐蔭、陵雲、和歌山東、海南、大成美里、箕島、耐久、南部、南部龍神、古座、新宮」の12校であった。生徒減にともない年々部員数も減少しており、この年、県内三大会への参加校は10校にとどまった。