平成元年~平成9年

平成 元  33年ぶり選抜大会に出場した日高高は苫小牧高の逆襲にあい初戦で姿を消す。
 井谷副会長の後任に浜久夫校長(田辺)が就任。昨年暮改正された県高野連諸規約「部長必携」は名称を「諸規定」と変更、コンパクトに完成、部長、監督へ。
 今春、朝日新聞社が春季・秋季近畿大会県予選の優勝旗を別々に新調し高野連に寄贈、春は桐蔭高が優勝。
 第71回選手権、和歌山大会前に紀三井寺球場改装されベンチは広く、本部放送室に冷房がつく、大会は実力伯仲延長5を記録、智辯和歌山高は桐蔭高にせり勝って甲子園出場、千葉県代表と息つまる熱戦、9回一死満塁の好機を逃し延長で敗退。
 新人、秋季近畿地区大会県二次予選とも高野山高と南部高であらそわれ高野山優勝す。秋季近畿地区大会は「オープン抽選」という画期的方法を採用、南部高は初戦に高野山高は2回戦に川西緑台高に零敗。
 記録部は膨大な記録整理のため招待、練習試合の珍・新記録を割受し公式戦のみとする。
 悲報 11月27日楠本嘉一郎氏死去 平成2年1月5日矢間勝重氏死去
     2月19日副審判長榊田稔氏急死。
平成 2  2月、選抜会議の朗報 高野路雪深く届かず高野山ナインおよび県関係者は落胆かくしきれず。淋しいシーズンインとなる。
 4月役員改選後、勇退および死去されたOB理事の後任に加茂大明(海草中OB)松嶋正治(桐蔭高OB)が就任し、紀南からはじめて岩本英樹(田辺高OB)の3氏が加わり理事会が充実した。
 春季近畿地区大会に御坊商工高が21年ぶり県代表となる。
 紀北農芸高、和歌山高、国際海洋和歌山高が県高野連に加盟、選手権・和歌山大会は37校となり、日程1日のび13日間となった。抽せん会に先立ち勇退した高木正次郎氏に、2月急死した榊田稔氏。5月死去された花岡堅吉両氏の親族に感謝状と記念品を贈った。今年も南北対抗でスタート。星林高は22年ぶり優勝し甲子園大会に駒を進めた。県高野連として過去春・夏11連敗中だっただけに星林高に大きな期待をよせた。2回戦北北海道代表、中標津高と対戦延長10回サヨナラ勝ちをし屈辱の連敗に終止符を打った。3回戦広島代表、山陽高の集中打に敗れ準々決勝進出できなかったが、星林の初戦打破は意義深いものがある。

 新人大会の名称も「新人戦」と改め、秋季近畿地区和歌山県一次予選は8校シード制を採用、南北の球場で行うことに決定。

平成 3  9年ぶり8回目の選抜大会に出場した箕島高は旭川龍谷高に勝ち、夢再びの希望を持ったが、大阪桐蔭高に敗れ、ベスト8進出ならず。
 4月の評議員会で、定年を迎えた吉川嘉造理事長に再度理事長をお願いする。
 続和歌山県中等学校・高等学校野球史(昭和60年~平成2年夏)が完成。

 春季近畿大会に智辯和歌山高が出場、天理高の併殺網にあって苦敗する。
 第73回全国高等学校野球選手権和歌山大会に初芝橋本高が初参加するも、吉備高・清水分校が部員不足のため棄権し、参加校は37校かわらず。抽選会に先立ち、前審判の林堂肇氏、福林慶二氏に、過去3回の野球史編纂にたずさわられた記録係の芝輝氏、中和印刷紙器株式会社に対し県高野連から感謝状が贈られた。
 夏のシード校・智辯和歌山高が決勝で星林高と対戦、両チーム併せて24安打の打撃戦を制し甲子園へ出場。初戦、学法石川高に僅少差で涙をのんだ。
 新人戦は、市和商が13年ぶり4度目の優勝。
 秋季近畿大会は16校となる。この大会に県で優勝した南部高と日高高が出場。南部高はベスト8で天理高に惜敗、日高高は2回戦で上宮高に敗れた。
 昭和22年からファンを魅了した甲子園のラッキーゾーンは明春からなくなり、スリリングなゲームの展開が期待される。

 悲報 11月5日 鷲尾直県和歌山商部長急逝。

平成 4  10年ぶりに選抜大会に2校が出場。南部高は1回戦で水戸商高に勝ったが、2回戦で東海大相模高(準優勝)に苦敗。日高高も帝京高(優勝)とガップリ四つに組んだ好ゲームをするが、1点差で涙をのんだ。
 谷口治美会長勇退のあとを受け海野正起県和商校長就任。吉川理事長続投でスタートする。
 春季近畿大会は和歌山主管で実施。箕島高、田辺高、和歌山工高が出場したが、1回戦敗退。

 第74回全国高校野球選手権・和歌山大会、抽選会に先立ち、浅田太喜男氏、大矢武氏、谷口治美氏に県連盟より感謝状が贈られた。大会は、シード校がいずれもベスト8にせず、日高高・中津分校が決勝に進出する活躍をみせたが、智辯和歌山高に屈する。
 甲子園での智辯和歌山高は、1点差のジンクスが付き纏う今回も拓大紅陵高に逆転を許し、涙をのむ結果となった。
 新人戦は南部高が30年ぶりに優勝。
 秋季近畿地区県二次予選は南部高、桐蔭高、県和歌山商高が近畿大会への出場権を獲得。箕島高は神宮大会に近畿二府四県代表として出場する。
 ナイター設備のない和歌山での近畿大会。他府県の協力で8:30ゲーム開始。桐蔭高、県和歌山商高は1回戦で姿を消したが、南部高は快進撃。和歌山選抜記念大会の出場権を掌中にした。

平成 5  第65回選抜大会より大会歌が「今ありて」になり、34校出場。南部高は連続出場したが、鹿児島商工高に逆転され、1回戦で姿を消した。
 春季近畿地区大会に出場の星林高は決勝戦に進出したが、姫路工高に敗れ、9年ぶりの和歌山代表の優勝ならず。
 第75回選手権和歌山大会の開会式後、全国高野連・朝日新聞社より芝輝氏に功労表彰があった。今大会で、大成高・小西洋輔投手が田辺工高との試合に補殺0(三振3、飛球24)という珍しい記録を作る。また、和工高・西田勇作投手は6試合全部一人で完投、わけても決勝まで4連続とDゾーンのくじの厳しさを見せつけられた。
 智辯和歌山高が3年連続和歌山代表として甲子園出場。1回戦で優勝候補の東北高を延長戦で破り、城北高には好継投で切り抜け、3回戦で徳島商高に投手戦の末僅差で惜敗す。

 新人戦で智辯和歌山高が7年ぶり2回目の優勝。決勝戦で智辯の井口直也選手が8打点、26年ぶりに更新した。
 秋季近畿大会に出場した智辯和歌山高、箕島高は、初戦に大差で勝ってベスト8に進出。準々決勝で智辯和歌山高は北陽高に、箕島高もPL学園高に敗れ春の選抜近畿代表7校の枠い地域性がどう生かされるのか、見守りたい。
 安全対策でバットが消音に改良、ブルペン捕手のマスク等の着用の義務、両耳ヘルメットの使用など改革がなされている。
 訃 3月 3日 前高野連会長・三宅秀彦氏死去
   7月23日 参与・浅田太喜男氏死去
   5月10日 那賀高監督・長谷川治氏急逝

平成 6  この春より甲子園大会の登録選手は16名となった。
 第66回選抜野球大会 柴紺の優勝旗は智辯和歌山高の活躍で15年ぶりに和歌山へ。優勝までの道程は厳しく、準々決勝で宇和島東高に9回に劣勢をはね返し、決勝でも常総学院高に後半逆転、32校の頂点に立った。
 4月、役員改選で吉川理事長の続投となる。また、現職の監督が理事となり4地区からそれぞれ1名選出される。
 春季近畿大会県予選は日高高・中津分校が初優勝、近畿大会で神戸弘陵高と対戦、僅差で惜敗する。

 第76回全国高校選手権和歌山大会を前に、登録選手が18名に・選手宣誓は高野連会長による抽選方式をとること・準々決勝の翌日、休養日を設ける・試合球を美津濃ビクトリーと佐々木SSKを併用する、以上のことが導入された。抽選日に先立ち、菅井繁實氏、菅野正治氏、西征一氏に感謝状が贈られた。
 リゾート博の関係から例年より早く和歌山大会が始まる。選抜大会優勝の智辯和歌山高は高野山高に敗れ、ノーシードの市和歌山商高が決勝へ進出。春季県予選で優勝した日高高・中津分校と激突し、手に汗握る好試合の結果、市和歌山商高が27年ぶりに甲子園への切符を手にした。
 選手権大会で市和歌山商高は、2回戦で福島県の双葉高に0-1の僅差で敗れた。しかし、この試合の小谷直稔投手の快投が認められ、アメリカ遠征18名の一員に抜擢された。
 新人戦は、吉備高が伊都高に勝ち、3回目の優勝。
 秋季近畿大会県代表は、20年ぶりに優勝した伊都高、2年連続の智辯和歌山高、今大会9回目の南部高と3校出場。南部高は初戦神港学園高に苦敗。伊都高はベスト4に進出、選抜は確実となったが、第66回選抜大会で優勝した智辯和歌山高は準々決勝で敗退し、微妙な立場に立たされそうである。
 この一年、6年ぶりにいずれの公式戦も優勝校が異なるという、まさに群雄割拠の和歌山であった。

平成 7  今春より打者・走者に両耳付ヘルメットが義務つけられた。
 選抜大会20年ぶりの伊都高、関東の雄・帝京高に1-0で勝ち、2回戦へ駒を進めたが、星稜高に苦敗した。
 海野正起会長定年退職に伴い、新会長に中尾憲市県和商高校長が就任。
 春季近畿大会県予選は高野山高が初優勝して近畿大会に出場、初戦敗退す。

 第77回選手権和歌山大会の抽選会に先立ち、井上太喜雄氏、大林一夫氏、西谷梅夫氏に感謝状が贈られた。大会はノーシードの田辺高が高野山高を破り甲子園初出場。開校100年という記念すべき年であったが、初戦、静岡県の韮山高に敗れ去った。
 29年間全国に名を馳せた箕島高・尾藤公監督が今夏の大会を最後に引退。
 新人戦は開校4年目の初芝橋本高が初優勝。
 秋季近畿大会に智辯和歌山高、伊都高が出場。両校とも1回戦を乗り切ったが、伊都高は2回戦で比叡山高に延長で惜敗。選抜選考で微妙なところにたった。智辯和歌山高は決勝に進出。大阪・東海大仰星高に敗れたものの、選抜出場を確実なものにした。
 12月の会議で、選手権和歌山大会の南北対決は取りやめと決定。
 耳ヘルメットの使用など改革がなされている。
 この一年も、いずれの公式戦とも優勝校が異なり、群雄割拠和歌山は今年も健在であった。

平成 8  今春の選抜大会には、4年ぶりに2校が出場。2年連続3回目の伊都高は1回戦で鹿児島実業高に惜敗。2年ぶり3回目の智辯和歌山高は1回戦より順調に勝ち上がり、2度目の全国制覇を目指したが、決勝で鹿児島実業高に苦敗。
 今年度より西口勇和歌山県知事が最高顧問になる。役員改選で吉川嘉造理事長が副会長に、新理事長に竹中雅彦副理事長が就任した。
 4月 第2回アジアジュニア野球選手権大会がフィリピンで開かれ、前箕島高校監督の尾藤公氏が日本チームの監督に、選手として智辯和歌山高の高塚、喜多の両選手が選ばれた。
 春季近畿大会に5度目の出場をした伊都高は初戦で京都の鳥羽高に敗れる。
 第78回選手権和歌山大会は11年ぶりにフリー抽選となる。2回戦の熊野高と御坊商工高の試合で、白熱した投手戦となって18回で決着がつかず、初めての「引き分け再試合」となった。決勝で智辯和歌山高は伊都高を破って6回目の優勝を果たしたが、選手権大会で茨城の水戸短大付属校と対戦、初戦で涙をのんだ。この選手権大会より、女子マネージャーの記録員としてのベンチ入りが認められ、大きな話題を呼んだ。
 新人戦は、旧チームのレギュラーが残っている智辯和歌山高が圧倒的な強さを見せて優勝し、決勝で6つの新記録が生まれた。
 秋季近畿大会県予選は日高高中津分校が悲願の初優勝を飾り、和歌山工高、智辯和歌山高とともに近畿大会に出場。和歌山工高、智辯和歌山高は1回戦で敗退したが、日高高中津分校は1回戦を勝ち上がり、準々決勝で育英高に惜敗するも選抜大会出場に期待を抱かせる結果となった。
 貴志川高が部員不足のため新人戦と秋季大会県予選に不参加となり、来年度入部者が増えて参加できることを願う。
平成 9  分校として始めての甲子園出場となった選抜大会で、日高高中津分校は中京大中京高と対戦、後半力尽きて苦敗するも、全国に大きな感動を与えた。
 原田武俊田辺高校校長が副会長に就任。
 春季近畿大会に出場した智辯和歌山高は、打線が好調で始めて決勝に進出。選抜優勝校の天理高と対戦し、接戦の末初優勝を飾った。
 第79回選手権和歌山大会の抽選会に先立ち、阿部英二氏と畑崎周定田辺商業高教頭に感謝状が贈られた。大会は雨にたたられ、3日延びて8月1日に決勝が行われた。決勝は、近畿大会優勝校の智辯和歌山高と選抜に出場し、夏の初出場を目指す日高高中津分校が激突。二転三転の好ゲームの結果、智辯和歌山高が7度目の優勝を果たした。選手権大会で、智辯和歌山高の強力打線が初戦から爆発。2、3回戦は2けた得点で勝ち、準々、準決勝は接戦をものにして初の決勝進出。決勝で古豪・平安と対戦、持ち前の打力で打ち勝って悲願の初優勝。昭和54年の箕島高以来18年ぶりに深紅の優勝旗が紀の川をわたる快挙となった。

 今選手権大会より、開・閉会式の司会・行進の先導役を高校生が務め、話題をよんだ。また、大会中、専属トレーナーが球場に待機することになった。
 8月、日本高校選抜チームがブラジル遠征。智辯和歌山高の高嶋監督が指揮を執り、4選手が選抜され、中谷選手が主将に選ばれた。
 新人戦は桐蔭高が13年ぶりの優勝。
 秋季近畿大会県予選は智辯和歌山高が4年ぶりに優勝、桐蔭高とともに近畿大会に出場。両校とも初戦で姿を消す。
 大阪国体に智辯和歌山高が県勢として16年ぶりに出場。準決勝で敗退。
 日本学生野球協会の優勝選手に、智辯和歌山高の中谷仁選手が選ばれる。

 県高校選抜チームを編成、初の海外派遣として台湾へ行き、各地の高校で試合を行って交流を深めた。